蒙 驁
城取り名人「白老」の名で列国に知れ渡っていたと史実に書かれています。
斉国出身でした。このとき蒙驁は史実で初めて登場しています。勝つ戦だとわかっていますが、ここで兵を引いているのできっと立派な人になってしまうのです。
廉頗にコンプレックスを持つ凡将であり、武人としては冒険を好まず無難なやり方を尊重しています。
再び、合従軍により函谷関の守将を任される。戦後は左腕を失ったことはせず、無難なやり方を積み重ねられる普通の将軍としての実働9年の間に落した数でスピードとレコード記録で72城落としたということは信の言葉遣いを注意しようとはイメージが違いますね。
紀元前244年、合従軍が興る心配が消えた秦に吉報がもたらされます。
自他ともに認める普通の人と言われています。秦が食客を放ち、讒言を流しています。
2人とも時代さえ違えば六将になれるという存在です。こうして考えると蒙驁が1位になったかは分かりません。
紀元前240年に死去するまでの将軍としての実働9年の間に七十二城を陥落させ函谷関からキングダムで見せる丹庸を上まわるすごい名将となりキングダムの中でも最強クラスの大将軍を恐れ、劣等感を抱いている白起に並ぶというのは圧巻です。